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内容の紹介

40年以上の間、科学的な書物や雑誌に関わってきた経験から、 いくらかの分別と偏見をこめて、次のような述懐ができる。

様々な科学分野の研究室では 最良・最高・高価な実験設備が整備され、 研究室自体の質の高さも備わっている。 しかし、これらの研究室の成果(学術論文)の中には これらの設備に十分に見合うものもあれば、 見合わないものもあった。

良くなかった論文については次のような疑問が起こった。

「なぜ研究室の中では輝かしい実績をあげている科学者が、 論文の執筆では新入生の作文の授業でも落第するような論文を書いてしまうのか?」

「なぜ800万円もするような超遠心分離器を要求する科学者が、 2〜3分でできることなのに、 それによって得られた結果をきちんとグラフにするのを拒否するのか?」

この疑問を常に考えてきたが、 これに完全に答えられる人はいないのではないか。

自分なりには次のように解釈している。 知識を「家」に例えると、 科学の知識は家の建築法を教えてくれるが、 家の飾り方には芸術的な知識が必要で、 家での生活の仕方には常識的な(人間的な)知識が必要とされる。 科学論文は科学研究の成果だが、 論文を美しく、理解しやすいものにするには 豊富な科学的知識と少しの芸術的センスおよび常識が必要だ。 実際のところ、本当に良い科学論文はよく修練をつんだ科学者の所産であるが、 たいていはそのような科学者は教養のある人でもある。

科学を学ぶ学生は、 その科学の研究だけをしているのではなく、 他の科学の学問の背景の元で学ぶことがより意義深いものとなるだろう。

特に、学生は書き方を学ぶ必要がある。 なぜなら科学は文章での表現を必要としているからである。 また、その書き方を学ぶためには良い書きものを多く読む必要があるだろう。 専門的なジャーナルはもちろんのこと、良い文学も読まねばならない。



最終的なまとめ



Masao Takaku 平成11年3月12日