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まさおのChangeLogメモ / 2008-07-07

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2008-07-07 Mon

* 今日のサイクリング

扇大橋まで往復。

・走行距離: 14.97km
・走行時間: 0:50:31

午前中まで雨降りだったけど、意外と水たまりは少なくて快適に走れた。

* 最先端の現代アートから見た科学,そしてコミュニケーション -- テレビ番組制作を通じて --

村松 秀: "最先端の現代アートから見た科学,そしてコミュニケーション:
テレビ番組制作を通じて. 科学技術コミュニケーション. No.3, 2008,
pp.115-128
http://hdl.handle.net/2115/32379

著者は『論文捏造』(Amazon:4121502264)を書いた、テレビディレク
ターで、アートと科学技術の関係性について、制作したテレビ番組の意図
と取材内容を紹介しながら、各エピソードに見られた事例をもとに考察し
ている。

ぼーっと読んでいたら、後半のあたりにあった内容がものすごく示唆的で、
興味深かった。

「雪と氷との対話」展で,来場者にもっとも見てほしいと中谷が思って
いた写真がある(写真11).ブーメランのような形が写っているが,実
はこれ,宇吉郎が氷に重みを加え,徐々に曲げていった様子を写したも
のだ.そこには宇吉郎自身の手で細かくメモが書き添えられている.写
真は,氷の曲げ実験のプロセスの記録そのものなのである.
この写真を宇吉郎の弟子筋の研究者に見せたところ,科学的な価値はな
いということで,受け取ってもらうことは叶わなかったという.だが,
展覧会に参加していたアーティストたちは口々に,この写真はアートだ,
と驚嘆していたそうである.本来,科学にとって,論文などの記録とし
て重要なのは,あくまで結果を示したものであり,プロセスを示したも
のはもはや必要のないものになる.しかし,アーティストたちにとって
この写真がアートとして存在しうるのは,宇吉郎自身が氷と対峙したと
きの姿勢や思考がプロセスとしてくっきりと写真に刻印されているから
であろう.プロセスは,自然とは何か,本質とは何か,という問いと真
摯に向き合う宇吉郎の心そのものであり,それはものの本質と対峙しよ
うとするアートの心とまさに同じ,ということなのである.
宇吉郎の氷の曲げ実験のプロセスを表す写真にアーティストのみが反応
を示し,科学者は反応しなかったことは,ある意味で今の科学界の自然
や科学そのものに対する姿勢の変容ぶりを象徴的に示している,と見る
こともできよう. (p.123)

アートと科学の狭間にあるもの、もしくは著者の主張するように「科学が
持つべき姿勢」もしくは「科学の心」の象徴なのかもしれないが、いずれ
にしろ、立ち位置の違いが交わることなく、鮮やかに示されている。

なぜこれが面白いと思ったかと言うと、最近、編集や企画といった仕事の
重要性について漠然と考えているが、それはまさに、ここに見られるアー
トと科学を繋ぐモノになりうるのではないかと思っていることが鍵になり、
その場合、科学研究者、アーティスト、ミュージアム、編集者、ディレク
ター、科学コミュニケータといった関連しそうな役割を持つ主体は、それ
ぞれがどのように補完しあって、その形を作りうるのだろうか?という点
に興味を持ったからだ。

そういう点から、格好の材料になりそうな気がする考察だった。