01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
「雪と氷との対話」展で,来場者にもっとも見てほしいと中谷が思っていた写真がある(写真11).ブーメランのような形が写っているが,実はこれ,宇吉郎が氷に重みを加え,徐々に曲げていった様子を写したものだ.そこには宇吉郎自身の手で細かくメモが書き添えられている.写真は,氷の曲げ実験のプロセスの記録そのものなのである.この写真を宇吉郎の弟子筋の研究者に見せたところ,科学的な価値はないということで,受け取ってもらうことは叶わなかったという.だが,展覧会に参加していたアーティストたちは口々に,この写真はアートだ,と驚嘆していたそうである.本来,科学にとって,論文などの記録として重要なのは,あくまで結果を示したものであり,プロセスを示したものはもはや必要のないものになる.しかし,アーティストたちにとってこの写真がアートとして存在しうるのは,宇吉郎自身が氷と対峙したときの姿勢や思考がプロセスとしてくっきりと写真に刻印されているからであろう.プロセスは,自然とは何か,本質とは何か,という問いと真摯に向き合う宇吉郎の心そのものであり,それはものの本質と対峙しようとするアートの心とまさに同じ,ということなのである.宇吉郎の氷の曲げ実験のプロセスを表す写真にアーティストのみが反応を示し,科学者は反応しなかったことは,ある意味で今の科学界の自然や科学そのものに対する姿勢の変容ぶりを象徴的に示している,と見ることもできよう. (p.123)