昨年秋に日本図書館情報学会の2007年度
学会賞を受賞した作品。
主に米国内の大学図書館における日本語資料(および日本関連資料)の蔵
書形成を丹念に追ったものだが、日本語資料がどこから来て、誰が収集し、
どのような場所にいる読者のもとに届けられたか、どのような研究が行わ
れたか、それがどのような文脈で受けとめられたかをいくつかの観点から
戦前、戦中、戦後と時代背景とともに逐一に解説し、そこでの図書館およ
び図書と読者を結んだ図書館員をはじめとする仲介者の役割を如実に伝え
ている。
著者が序章から絶えず強調し、また副題『リテラシー史に向けて』とある
とおり、単なる資料の歴史の羅列にとどまらず、資料群がどのような媒介
者や読者を経て、日本語や日本文化の接点(リテラシー)となったかにつ
いて、一次史料への参照つきで、かなり自覚的に読むことを要求される。
感想を一言で言えば、素晴しい仕事である、との一言に尽きる。
もちろん、日本語資料の歴史上の立ち位置と背景解説、詳細な事実叙述は
一次史料の丹念な調査から掘り起こしていて、それだけでも優れているの
だけど、それよりも驚いたのは、本書における著者の論点が徹頭徹尾、図
書館サービスにおけるリファレンス活動や組織化活動といったサービスの
本質への記述を通じて、日本語資料の問題を考えている点にあったこと。
序章(24ページ)に見られる以下のような問い:
日本についての図書館を新たにつくる場合、買うべきいちばん大事な図
書は何だろうか。... 参考図書(レファレンスブック)である。
は、まさに本書がこの点を主眼に置いていることが明白となる主張で、こ
の観点から著者は「ただ図書館の蔵書史を羅列するという形式はさけ」た
構成で、日米間の歴史的な流れとそこに登場してくる人物を地道に追いか
け、記述している。
さらに、多くの日米の当時の一線の図書館員たちによる活躍の様子が分か
るし、それがどのように読者まで結び付いていったかもふくめた描写は感
動的ですらあったと思う。
また、これは著者が意図したことではなく副産物なのだろうが、日米の戦
争をはさんだ交流の流れは、多くのドラマも生んでいるが、それらについ
ても、個々人の名を挙げながら、詳細に追いかけ、半ば感動的なストーリー
となっていて、読み物としても読み応えがある。
本書はたまたま日米における蔵書形成期を含む激動の時代を追った本だが、
単なる歴史研究にとどまらず、「図書館における読者への資料提供」とい
う普遍的なテーマに取り組んだものとして読むべきだろうし、そういう観
点からも必読の書となるもののように思った。
さらにこの点は咀嚼、検討して、「現代の日本」という、筆者が述べたの
とは異なる環境の中でどのような形で結実するか、という実践に近い問題
として捉えなおす必要があるのかもしれないな、と思った。
昨年秋の研究会
[2007-10-14]では半ば聞き流してしまっていて、手にとる
までに時間がかかってしまったのが残念だったが、学会賞受賞についても
そのような趣旨で受賞されたものと確信する。